大和重工株式会社 代表取締役社長 田中 宏典

江戸時代のたたら製鉄の精神を
受け継ぐ大和重工株式会社。
その伝統と技術を、
現代に求められる新しい形で発信し、
地域社会に貢献したいと
意気込む田中社長と、
小誌発行人・前田社長が語り合った。
江戸時代の天保2年創業
創立100周年を越えて
前田
大和重工さんといえば、鋳物ホーロー浴槽で有名です。私どもは住宅リフォームですから、仕事面でもお付き合いさせていただいています。先日はテレビ番組でもお目にかかりましたね。
 本誌「くらうど」の読者の皆さんに、大和重工さんの事業についてご紹介いただけますか。
田中
創業は江戸時代にさかのぼる1831年、天保2年です。中国山地で生まれた、たたら製鉄の鉄を、鍋、釜、羽釜など色々な製品に加工するところから始まりました。株式会社になったのが大正9年で、2020年に創立100周年を、来たる2031年には創業200周年を迎える予定です。
 弊社の事業は大きく分けて、住宅機器と産業機械の2つの部門があります。読者の皆さんに親しみのある住宅関連では、鋳物ホーロー浴槽のほか、「湯牧民(ゆうぼくみん)」というアウトドアブランドを立ち上げて、五右衛門風呂や、キャンプなどで使える羽釜とかまどのセット「かまどん」を製造販売しています。また、産業機械の部門では、大型工作機械の鋳物製品を手がけています。例えば五面加工機は自動車部品の金型を削ったりするマザーマシンといわれるもので、ひとつの部品が重さでいえば20トンとか、長さで言えば10メートルといったスケールになります。弊社ではさらに30トンとか40トンクラスの世界一という規模の工作機械の部品を製造しています。そのほか、船舶用の大型ディーゼルエンジンのシリンダーブロックを作っています。世界最大のエンジンともなると、ビル3階建てくらいのエンジンになります。近年はそういった技術を生かして、「定盤(じょうばん)」も作っています。
前田
定盤とはどのようなことに使うものですか。
田中
工場のフロアに敷くプレートで、その上で製品の検査や試験、組み立てなどを行うものです。たとえば、自動車メーカーさんであれば、定盤に検査器具を取り付けて、実際にエンジンを稼働させて耐久試験をしたりします。
前田
ということは、非常に高い精度が要求されますよね。
田中
ええ、そうなんです。定盤自体の精度もですが、施工・据え付けも高い精度で行わなければなりません。弊社の鋳造技術や加工技術を組み合わせ、設計から鋳物を鋳造して加工、組み立てしてお客様の工場へ据え付けるところまで行い、最近ではメンテナンスまで手がけるようになりました。
 工作機械や船舶用エンジンなどの産業用機械分野は、非常に景気の波を受ける業界で、景気に左右されず安定して生産できる自社製品的なものができないかということで、定盤を開発しました。
アメリカ大統領も入浴?
特注のホーロー浴槽
田中
明治に入ってから五右衛門風呂を製造するようになり、1953年に初めて五右衛門風呂にホーロー加工を施しました。1970年に、昔ながらの丸い形から現代の浴槽のような四角い形に変更し、下から火を焚いて沸かす直焚き式の浴槽を作りました。これは現在でも製造販売しています。そして、1978年に日本で初めて、肘掛けとグリップを付けた浴槽を発表しました。快適な入浴感を損なわずに、どれだけ湯量を減らせるか、というねらいで開発したものです。世界初ということでは、クルクル巻いてたためるシャッター風呂蓋も弊社が開発、発表したのです。
前田
それはすごい。肘掛けグリップ付きの浴槽もシャッター風呂蓋も、今はよく見かけますが、大和重工さんが最初だったんですね。
田中
10年くらい前から、ホテル向けの浴槽に力を入れています。シンプルなデザインをコンセプトにした「キャスティエ」というブランドを立ち上げて、ラグジュアリーホテルや外資系ホテル、建築家、設計事務所などで多数採用いただいています。コロナ禍を経て、個室サウナやソロサウナが流行りましたが、そこに五右衛門風呂を水風呂用に置くという事例もあります。志摩観光ホテルでは以前からご採用いただいておりまして、2016年の伊勢志摩サミットに向けて改修された際にも、再びご採用いただきました。
前田
ということは当時のオバマ元アメリカ大統領が使われたかもしれないですね。
田中
そうかもしれないです(笑)。これが厳粛な情報コントロールを求められまして、サミットが終わるまで一切しゃべらないでくださいということで、終わったあとはいくらでもしゃべってPRに使ってもいいですよと言っていただいて。
前田
なるほど。
田中
その次のヒルトン広島では、特別に製作した据え置き型の大型鋳物ホーロー浴槽をスイートルーム9室に採用いただきました。
前田
ヒルトン広島も、2023年の広島サミットのときにアメリカのバイデン大統領が宿泊されていますね。
田中
ええ、職員の方やセキュリティーの方も含めて全館借り上げていらっしゃったのですが、スイートルームはバイデン大統領が宿泊なさったでしょう。これもサミットが終わるまでは口外しないように、とのことでした。
前田
2回続けてアメリカ大統領が使った浴槽とはすごいですね。
田中
ありがとうございます。弊社の浴槽は色々な国内外のデザイナーに採用されています。我々は型から製品まで一貫生産できるということで、近年はホテル毎に1物件ずつ、こんな浴槽がほしいという、こだわったご希望が増えています。
 戸建てでは、著名建築家の設計による住宅やマンションなどで採用されています。デザインオフィス「nendo(ネンド)」の代表で、東京オリンピック2020の聖火台や東急ハンズのロゴをデザインした建築家・佐藤ナオキ氏の設計した邸宅にも採用されました。これも特注で、黒い浴槽にしてほしいという希望でした。
前田
「階段の家」さすがにおもしろいデザインですね。
田中
従来、鋳物ホーロー浴槽は洋風のイメージがあるといわれてきました。そこで、和風旅館などで使っていただきたいという思いで、「やまと」というブランドで和風の鋳物ホーロー浴槽を開発しました。ホーローの色を御影石のような石目調にしています。
前田
なるほど、これはいいですね。
田中
釉薬のかけ方が難しいんです。宮島の「離れの宿IBUKU」や奈良県の「ふふ奈良」にご採用いただきました。「ふふ奈良」では製品を納入して終わりではなく、現場で施工まで行いました。そのほか、五右衛門風呂「湯牧民」の据え置きタイプを採用くださった旅館では、風呂を焚くところからの体験を含めて楽しめるようにされています。また、全室違う浴槽を制作、納品した旅館もあります。
前田
やはり建築家さんは量産型は選ばれないですよね。
田中
そうですね、一つずつ選びたいとおっしゃいますね。
前田
大和重工さんにしかできないような製品を作っておられるのですね。
オンリーワンの技術を
未来に伝えるには
前田
鋳物ホーロー浴槽と産業機械部品、これらの共通項である御社の強みとして、どんなものがあるのでしょうか。
田中
我々のコアな技術はやはり鋳造の技術です。基本は機械で作っていない、人間が一つずつ手で作るという、職人の技です。鋳物ホーロー浴槽はラインになってはいますが、やはり人の手、職人の技がないと、これだけのよいものはできません。産業機械にしましても、工作機械やエンジンなど心臓部ですから、非常に高い精度が求められます。
 鋳造には大きく分けて量産型と非量産型があります。他メーカーのような量産型は、50%以上が自動車関連部品です。我々からみると小さな部品で、何千個、何万個と機械で作っていきます。一方、我々は、非量産型です。手込めといって小ロットのハンドメイドで作っています。もちろん大きなものなので道具としてクレーンなどは使いますが、基本的に人の手から人の手へ、という感じでやっています。
前田
ホーロー浴槽にしても、釉薬を吹き付けたりなどは、何となくロボットというか、機械がやっているイメージがあったんですが、やはり特注品が多いからハンドメイドでやる、ということなんですね。かつ精度を高く。
田中
そうですね。これからは人手不足対策や効率化を求められる時代なので、弊社としても色々な改善や、可能なところはロボット化や自動化をやっていければと思いますが、基本はやはり職人技だと思います。
前田
私ども建築業種でいえば、大工さんなども職人技をお持ちですが、その技術を若い人に伝承するのが一番の課題です。御社ではどのようにされていますか。
田中
最終的にはOJT(職場の先輩社員が後輩に対し、業務に必要な知識やスキルを実践しながら伝承する方法)ですね。鋳造は、現代ではある程度コンピューターで3Dソフトにかけて、どのように進めればいいのかを算出することができます。実際に人の手に頼っているところは、焼成とかホーローがけのところですね。作業の様子をビデオに撮ったりもしますが、やはり、OJTで一緒にやらないと難しいところはありますね。まあ今は技術のデジタル化も進んでいますから、人の動きにセンサーを付けたりといったやり方も考えられるので、その辺りは今後トライしてみてもいいかなと思います。
前田
なるほど。
田中
ただ、ロボットに置き換えることが必ずしも良いのか、というと、そこまでは考えていません。やはり、我々の造るものは小ロットでしょう。
前田
そうですよね、多品種小ロットで、同じ製品の大量生産とは全然違いますよね。
田中
ええ。機械化すると逆にロスが生まれるかなと思ったりもします。
前田
まさしく私たちのリフォームの仕事がそうです。100軒住宅があって、お施主様の要望があって、100軒それぞれが違う。ですから、未だにロボットが現場に入っていないんです。大手ゼネコンでは一部の工程、例えば石膏ボードを貼るのにロボット導入を検討されているそうです。ですが、それはあくまで新築向けであり、リフォームでは難しいですね。
鋳物メーカーとしての
歩みを振り返って
前田
御社は江戸時代創業で、大変歴史が長いわけですが、田中社長は何代目に当たられるのですか?
田中
10代目です。最初は瀬良嘉助という鋳物師から始まり、大正時代から私の家系である田中家が経営しています。鍋、釜、羽釜は今も業務用を作っています。江戸時代当時と同じ製法で鍋や釜を作ることができる職人が、現在弊社に2名おります。
前田
それは貴重な技術ですね!ところで、五右衛門風呂を作っている会社って他にあるんですか?
田中
いえ、もう我々だけになりました。
前田
それだと、市場はシュリンクするかもしれませんが、製造者利益がすごいのではないですか?
田中
そうならいいですね(笑)。鋳物ホーロー浴槽も昭和期までは6社あったのですが、もう我々1社になってしまいました。
前田
すごく高付加価値のある製品で、私どもから見たら、いいなあと思いますよ(笑)。
田中
鋳物ではない鉄板のホーローだとドイツのメーカーが日本にも入っていますね。
前田
私も昔、営業マン時代に某ブランドの鋳物ホーロー浴槽を売っていましたが、もう製造されてないですね。
田中
そうですね、我々も他メーカーへ鋳物素材のみ供給しておりましたが、もう他社は国内製造販売はやめておられますね。
前田
鍋釜から始まって190年の長い歴史の中で、色々な激動の頃もおありになったんじゃないかと思うのですが。
田中
やはり1945年、第二次世界大戦の前後が大きかったのではないかと思います。産業機械部品については戦後、多角化して経営を安定させようとして進出しました。その前に、工作機械メーカーへの転換を図り60〜70台くらい製造販売したのですが、技術力はあっても、当時は販売力・開発力不足で断念しました。ですが、現在鋳造だけのメーカーで、加工・組み立てに加えて、弊社のように設計部門を有しているところはとても少ないです。それは、工作機械メーカーを目指した時代の遺産から発展していると思います。
 戦後の混乱の時代には、社会的な住宅難が生じました。そこで住宅公団ができましたが、うちが住宅公団のバスタブ認定第1号だったんです。全国に鋳物ホーロー浴槽を多数出荷したと聞いています。東京の青梅にも工場があり、広島で鋳物を作って青梅でホーローをかけて、関東方面へ出荷。そういう時代がありました。ただ、その後の時代の流れで、前田社長もご存知のように、ユニットバスに変わり、浴槽はFRP(繊維強化プラスチック)や樹脂になりました。それで市場が縮小して同業メーカーも減りましたが、我々はその中でOEM、つまりブランド製品の委託生産も引き受けつつ、自社製品ではホテルや建築家への供給をしています。
阪神淡路大震災をきっかけに
防災からアウトドアへ
前田
先ほど話題に出た「湯牧民」の五右衛門風呂や「かまどん」など、アウトドアのブランドを立ち上げていらっしゃいますが、従来の大和重工さんのイメージからすると意外でした。これはどういった経緯で開発されたのですか。
田中
元を遡れば、この商品は阪神淡路大震災後に開発されました。私は当時まだ中学生でしたが、父に連れられて救援活動に行きました。まだ防災グッズなど揃っていない時代で、被災された方がヒューム管(コンクリートの土管)やドラム缶をかまどの代わりにして、その上に鍋、釜を乗せて煮炊きして生活されていたんです。我々は元々その下の部分のかまどを鋳物で製造していましたから、何か被災者の助けになるものができないか、と考えました。それで、大きなかまどを作ってその上に大きな羽釜を作って乗せて、五右衛門風呂も作って、日赤などに持って行ったんです。ところが、鉄だから重量があって、大人3人くらいで担がないといけない。これだと防災時には使いにくいということで、材質を鉄からアルミやステンレスのような軽いものに変えて大型の炊き出し用の「移動かまど」を作りました。最初に作ったかまどや五右衛門風呂を “アウトドア用品として展開しよう” ということになり、「湯牧民」「かまどん」が生まれました。発売当時は宣伝しましたが、その後は実は何十年も寝てたんですよね。いい商品だし、もっと世の中に出して行こうということで、昨年くらいから力を入れています。さらに、社会貢献として「かまどん」で子どもたちに火を扱って調理をする体験をしてもらう“火育”と“食育”を兼ねた活動をしています。
 ただ単にアウトドアというコンセプトだけなら、既に有名なアウトドアブランドなどがあります。コロナ禍以降、アウトドアやソロキャンプなども流行する中、他の有名ブランドと戦ってもしょうがない。それよりも、本当に人の生きる力になれる事業をやろうと思い「まるひろ食堂」というブランドを立ち上げて、「かまどん」などの鉄の調理道具をネット販売で買っていただけるようにしようとスタートしました。
「まるひろ食堂」ブランドを
社会貢献に生かす
前田
「食堂」といっても飲食店ではないのですね。ECサイトの名前ということですか。
田中
ええ、ECサイト名でもあり、ブランドコンセプトでもあります。「まるひろ食堂」というと、“じゃあ実店舗はどこですか?” と聞かれたりしますが、実店舗はありません。ありませんが、たとえば我々が地域のイベントなどへ出かけていき、そこで子どもたちと一緒に煮炊きをして、火を使ってご飯を炊く、料理をする、ということを体験してもらう。火の扱い方を学んでもらう。そういった社会貢献を「まるひろ食堂」というコンセプトで表現しています。ゆくゆくは社内にもそういう場が作れたらいいなと思います。
前田
学べる体験カフェのようなものがあればいいですね。
田中
そう思います。アウトドア体験から、防災・災害に備えるということに広げていければ。近年、災害も増加している中で、いざとなれば火を使える、ご飯を炊くことができる。そうした体験を通じて、子どもたちが生きる力を養うことに結びつくのではないか、という思いで取り組んでいます。そうした活動も含めて、体験型の “食堂” を提供できれば。「まるひろ食堂」の店長として、管理栄養士の資格を持つ社員を採用し、活躍してもらっています。「まるひろ食堂」という名前は、昔から弊社で五右衛門風呂などに付けていた、丸に広島の「廣」のロゴマークが由来です。今もキャップの鋳物に鋳込(いこ)んでいます。
前田
うちの家内も最近羽釜を買って来てご飯を炊いています。炊飯器があるのに?と驚きましたが、確かにおいしく感じます。
田中
今は何でもワンタッチでできる時代です。でも、“不便益” という言葉があって、不便から利益を得ていくということですね。我々が取り組んでいる “火育” にしても、そこから得られる生きる力であるとか、豊かさであるとか。
前田
2011年3月の東日本大震災のあと、テレビなどで炊き出ししている様子を見ると、すごく大きな釜で炊いておられますね。
田中
私も震災の翌月、4月から現地に入りまして炊き出しを何回か行いました。その後も3年間くらい度々炊き出しに行っています。あのとき、弊社の移動かまどは全国の日赤の8割で使っていただきました。東北3県、岩手、宮城、福島はかなり防災意識が高い地域で、以前からかなりの数の移動かまどを備蓄していただいていたんですが、大きな津波で全部流されてしまったんです。それまでにも防災関連で関わりがあったので色々相談を受け、では何とかかまどを送りましょうとなりました。とにかく必要な数が多いので、我々が声をかけられる地元企業の協力も得て、移動かまどを大量に制作して日赤を通じて現地へ届けました。我々も人数が限られてはいますが、実際に現地へ出向いて、炊き出しを行いました。
創業200周年に向けての
ビジョンと課題
前田
鉄というと私などはゴルフパターが思い浮かびますが、新しい商品について何かアイデアを練っておられますか。
田中
既存の商品の見せ方を工夫したり、形やアプローチを変えていくことに力を入れています。長くOEMをやっていましたが、もう一度自社製品の販売へとシフトしていこうとしています。この10年くらいは販売力や営業方法に注力して舵取りをしているところです。ブランドを立ち上げて、ルート向け営業からホテルの事業主さんやインテリアデザイナー、設計事務所など、決定権のある人へちゃんと自社製品の良さを伝えるよう、営業方法を変えていっています。
前田
それが、今こうして色々なホテルで採用されるなどの成果に表れているのですね。
田中
そうですね。ただそこからまた色々と壁が出てきていて、今から次のステップへ昇らないといけない時期に来ています。
前田
そうした中で、これからのビジョンについて、どんなお考えをお持ちでしょうか。
田中
2031年が創業200周年の大きな節目です。私は2019年に社長に就任し、社内の基盤作りとして3年間の第一次中期経営計画を初めて作成しました。現在第二次に入っていますが、コロナ禍もあり時代が大きく変わっていく中で、もう一度社内の基盤作りをする必要があります。来年掲げる第三次中期経営計画はもっと身近なビジョンを立てようと着手したところです。時代の変化も速く、社の歴史も長いだけに色々な課題も積み上がっています。それをクリアしないと先に進めない。社内で課題をきちんと認識して次へ進むためにの、スタート地点に改めて立っているところです。創業200年の2031年に向けて、『鉄に向き合い、人を豊かに。』というビジョンを掲げて、前進をしております。
前田
なるほど、創業の頃、創立の頃からずっとこういう精神で貫かれているのでしょうか。
田中
社史といいますか、創業者の言葉のような正確な記録は残っていないんです。創立100周年のときには、プロジェクトチームを結成して特設ウェブページを作りました。
前田
次は2031年に向けて、200周年史を作ってみられてはどうでしょうか?
田中
それも200周年に向けてやりたいことのひとつです。海外進出してグローバルに拡大したいという思いや、その他にも夢はたくさんあります。ただ夢を語るだけでは前に進まないので、会社全員で課題に向かって、着実に歩みを進めたいですね。長い歴史を持つ老舗企業ですが、我々の日々の仕事がその歴史の中でどうつながっていくのか。我々はいいものを作ることができるという自負はあるけど、それがなかなか世の中に知られていないように感じます。製品の良さを含めて次の時代に育てていき、歴史をつないだりしながら、いい形で表に出してあげたいと思います。
前田
どう伝えるか、ですよね。いいものを作ってもわかってもらうためには、伝え方ですね。私たちもそこが課題です。
田中
あとは、今後も地域のためになる事業をやっていきたいです。防災関連事業も展開したいですし。今、社内の倉庫を改修してアウトドアから防災を考えられる学びの場を作りたいと考えています。
前田
私たちも「広島を、いい笑顔に」を合い言葉にしています。お互いに、得意分野を生かして広島に貢献していきたいですね。今日はありがとうございました。
大和重工株式会社
代表取締役社長
田中 宏典
1980年広島生まれ。2006年アメリカ・バークレー大学卒。2011年大和重工取締役、2019年代表取締役社長に就任。趣味は音楽鑑賞とDJで、音響機器に詳しいためイベントで活躍することも。