赤松製薬有限会社 赤松薬局 代表取締役 赤松 正康

創業は、はるか昔400年以上前の江戸時代。
今も変わらず本通の中心で信頼を得ながら
薬の販売や健康のお悩み相談に向き合い続ける
赤松正康さんと小誌発行人・前田社長の対談は、
健康や命に関わる者同士、興味深い内容となった。
悲しいこともうれしいことも
店に刻まれ続ける本通の歴史
前田
赤松薬局さんは、広島で最も古いお店もしくは会社ですよね。
赤松
創業から同じ業種で続けているのは当社が一番古いようです。1615(元和元)年にここで製薬を生業として創業し、植物の葉や根などが原料の漢方薬、いわゆる「家伝薬」の製造・販売を手掛けてきました。明治時代に入ると卸業も始めたようですが、終戦後は外貨獲得のためアメリカで売れるものを売りたいと、国から指令が来たのが当社で代々製造してきた女性保健薬「順血三日散」です。戦前に流行したスペイン風邪に効果があったようで多く輸出していました。体を温める薬で、ウイルスは熱に弱いですから体が温まれば免疫力は上がるので、理には適っていますよね。ただ、そうは言われても原爆で工場もなくなり、バラックを建てて製造を再開しましたが、だんだん良い原料が手に入らなくなって薬の効能が100%発揮できなくなり、厚生労働省の規制も非常に厳しくなってきて、家伝薬のメーカーはほとんどやっていけなくなりました。製薬を続けたければ何千万円も設備投資しなければならず、もともとそれほど利益も得ていなかったので、今から25年前に製薬は止めました。
前田
一番大変だったのは、やはり原爆投下直後だったのでしょうか。
赤松
はい。働き盛りの57歳だった祖父が被爆して亡くなりました。父の偕三は三男でしたが、岐阜の薬学専門学校に通うための下宿先を探しに広島を離れたのが原爆投下の1週間前。新聞の号外で広島が壊滅したことを知って慌てて帰ってきたときは、まだ人々のうめき声が聞こえていたそうです。このときのことを父は長い間話してくれませんでしたが、やはり伝えていかなければならないという思いからか、修学旅行生に話をするようにもなりました。
前田
本通の姿も変わりましたね。私が残念に思うのは、20年前には本通に6店舗もあった本屋さんがなくなってしまったことです。
赤松
おっしゃる通りですね。私も本が好きなので、父が元気なころは夕方お店を抜けて本を10冊くらい買っていました。ネットでも情報は得られますが、本から得る情報はそれとは全く違うものだと思っています。
前田
2016年にカープが優勝したときの本通はすごかったですよね。
赤松
すごかったですよ。優勝して自然発生的に集まってきた人々の声がものすごく反響していて、暴動でも起きたんじゃないかと思うくらいでした(笑)。でも本当にありがたかったし、うれしかったですね。コロナ禍で減った人出も、最近では少しずつ戻り始めているように感じています。
命に関わる仕事だからこそ
地域に密着しお客様を大切に
前田
赤松さんがこれからやりたいこと、発信したいことはありますか。
赤松
本通ではいま、商店街振興組合の青年部が精力的に活動してくれていて、先日は本通の活性化を目的にしたマルシェを2日間開催しましたが大成功でした。これを1つの祭りのようにして続けていきたいですね。薬局としては、「日本一お客様のお役に立てるくすり屋でありたい」が当社のキャッチコピー。知識と経験を生かして、お客様からの相談にきちんと応えられる存在であり続けることで、近年増えてきているドラッグストアさんとの違いを打ち出していきたいですね。こういう店があるんだということをなかなか知っていただけないのがもどかしいところですが、実際に来てくださったお客様からは「相談して良かった」という言葉をいただいています。
前田
ドラッグストアが増える中、日本一お客様を大切にしたいという赤松さんの考えは私たちも一緒です。リフォーム業界も、家電量販店やアマゾン、楽天などがこぞって参入していますが、地域に密着して1件ごとにお客様のニーズやお困りごとを聞き、長くお付き合いをすることが私たちの生きる道。そこは赤松さんと相通ずるものがあると思います。
赤松
まさしくそうですね。独立系の薬局は、この界隈では当社だけになりました。確かに薬はドラッグストアで簡単に手に入りますが、病気やケガで真剣にお悩みの方が症状の聞き取りや薬の説明が不足だと感じて、当店に来られることもあります。本当に困っておられる方に対して、絶対にベストではなくてもベターな薬の選択をして差し上げられる存在でなければいけないなと思いますね。
前田
私たちの仕事は住宅、つまり財産に関わることで、赤松さんは健康や命に関わる仕事。「こっちの病院が安いから」といって病院を選ぶことはないわけで、やはり安心して相談できるところを選びたいと思うので、私たちもそんな会社でありたいと思います。
体を冷やさない木造住宅
今後も大切に住み続けたい
前田
赤松さんはご自身が住んでこられた家について、思いやこだわりのようなものはありますか。
赤松
やはり木造の家の住み心地は良いですよね。京都で住んでいた木造の家は隙間風があって夏はクーラーもなかったけれど、とても快適でした。今は、終戦直後に建てた工場跡に木造の平屋を建て、それをリフォームして住んでいますが、やはりいいですね。木が持つ吸放湿性のおかげでしょうか。この辺りは消防の関係もあって、1度壊すともう木造住宅は建てられないそうなので、今の家はなるべく大切にして長く住みたいと思っています。
前田
私たちの業界では最近断熱リフォームに注目が集まっています。日本の住宅は夏を基本に造られてきたこともあって、冬のヒートショックで亡くなる方も多く、近年になってからはなるべく体温を下げないことが健康につながるということを、住宅の側面からも言われるようになってきました。
赤松
リフォームのときに壁と天井に断熱材を入れ、窓は二重サッシにしてもらったのでさらに快適なのかもしれません。私は、体を冷やさないことは健康の基本中の基本だと思っていて、本来人間のベストな体温は免疫の観点からも37℃。ですから、体を冷やさない家であることはとても大切だと思っています。
前田
本当にそうだと思います。本日はお忙しいところありがとうございました。
赤松製薬有限会社 赤松薬局
代表取締役
赤松 正康
先代の偕三氏から受け継いだ赤松薬局の17代目。“魂の薬剤師”と名乗り、病気やケガなどに苦しむ人々に対して日々真摯に向き合う。本業の傍ら、毎週水曜RCCラジオ「バリシャキNOW」内で「赤松正康の4時前に薬とロックンロール」を担当。