茶道 上田宗箇流 第17代家元 公益財団法人 上田流和風堂 上田 宗篁

広島に400年伝わる武家茶道・上田宗箇流。
第17代家元・上田宗篁氏は、大病を克服し
2026年に家元を継承した。小誌発行人・前田代表が
茶の湯文化を伝える思いについて伺った
生命の危機を乗り越え
伝統を未来へつなぐ
前田
この広島の地で江戸時代から現代まで400年続いている武家茶道・上田宗箇流の家元、上田宗篁さんを訪ねて、本拠地である上田流和風堂におじゃましております。今年、第17代家元を継承されました。
上田
ありがとうございます。この茶室「敬慎斎」も、それに合わせて2026年5月に改装したばかりです。ご覧のように畳を切って、腰掛けられるようになっています。
前田
正座をしなくてもいいのですね。このような茶室は初めてです。
上田
はい、我々としては前例のない空間です。実は私自身、病気で正座ができないのです。2017年に右足にガンが見つかりました。7センチもの大きなガンで、脚を切断することを勧められ、手術をしても生きられるかどうか分からないと言われました。3回の外科手術と放射線治療と同時に、複数クールの抗がん剤治療も行うことで切断は免れましたが、物理的に膝が曲がらない状態になり、正座ができません。しかし、正座せずとも私自身が茶の湯でお客様をおもてなしできる空間を創りたいと、先代の宗冏宗匠の許可も得て、この茶室を改修いたしました。
前田
今日は私どもも、茶室では正座をしなくては、と緊張して参りましたが、このような造りで正座せずにお点前いただけるんですね。
上田
茶室という空間は、畳に正座した状態で見るように創られています。G7のときに海外の首脳夫人をお招きして点前をした時は、椅子にかけていただいて立礼式で行いましたが、畳の上に椅子を置くと座る位置が高く、天井も床の間もどこか圧迫感があるように感じました。そこで、なるべく正座と同じ位置で腰掛けることができるよう、畳を切る方法を考えました。高齢の方や外国の客人など、正座が難しい方もおられます。しかし、正座をすることが茶の湯の全てではないので、正座が難しい方にも楽しんでもらえる方が、伝統文化の継承につながるのではないかと思います。
プロダンサーとしてのキャリアが
個としての自信につながった
前田
宗篁さんは以前ダンサーをされていたと伺いました。茶道家がダンスとは、意外な経歴です。
上田
はい、東京でヒップホップのプロダンサーとして活動していました。上田家には長男が家を継がなければならないという家訓があり、長男の私は幼少時には茶道の指導を受けていました。ですが、物心つく頃になると自分の人生が先に決められていることに反発を覚え、茶道以外の色々なことに挑戦していく中で17歳の時にダンスと出合いました。自分の力を試してみたくてダンスという全然違う世界に飛び込んだのです。それこそ死ぬ気でがんばってゼロから這い上がり、プロダンサーとして日本国内はもちろん、海外からも認められるようになり、ステージにレッスンにと飛び回る日々でした。
前田
それだけ成功されたのに、広島に戻ろうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。
ダンスという世界で結果を出せて、自分自身の「個の力」をしっかりと証明できたことが、生きて行く上での大きな自信になったのです。このままプロとして続けても良かったのですが、これだけのことを成し遂げられた自分なら、家業の仕事に取り組んでもやっていけるという自信を持つことができました。以前とは違い、家業のことを能動的に捉えられるようになり、26歳の時に広島に戻ることを決断し、28歳で帰郷しました。
ヒップホップダンスと茶道
2つの世界に共通することは
前田
家元になられた今、これまでを振り返ってダンスをやっていらしたことと現在の茶の湯とで、共通することはありますか。
上田
自分の中での仕事の考え方としては、ダンスと茶の湯はほとんど一緒です。私がやっていたヒップホップダンスは、スポーツではなかったという点が一番大きいですね。スポーツというのはどこまで行っても数字を競うもので、指標が明確です。一方、ヒップホップのようなポップカルチャーというのは、多様な価値基準があり、これも良いしあれも良い。人々がそれぞれ好きなものを大切にするという文化です。茶の湯もダンスも何のためにやるのかというと、そのとき来てくださる方のためにやるんですよね。お茶はお招きしたお客様に茶の湯のもてなしでしっかり楽しんでいただけるよう、建物、器、美術、お菓子などの準備をして当日を迎えるという手順を踏んで臨みます。ダンスも当日来てくださるお客様のために、踊りはもちろんのこと、衣装や舞台照明、音楽など、色々なことを何カ月も前から準備して当日を迎えるという流れが基本的に一緒なんです。2つとも総合芸術です。文化としての構成がものすごく似ているので、基本的な考えはずっと変わらず仕事に取り組んでいます。
前田
なるほど。私はダンスは「動」、茶道は「静」と、正反対なのかと思っていましたが、共通するものがあるのですね。
上田
ダンスの中にも静と動がありますし、茶の湯の中にも静と動があります。そういう風に自分が取り組んでいることを俯瞰で見ることが大切です。自分が作ったものをお客様がどう捉えてくれるかを客観的に見て、エゴにならないよう、ちゃんと多くの人にいいと思ってもらえるものを作ろうという目線は、ダンスを通じて養えたと考えています。
前田
建築分野でも同じことが言えます。私たちの会社はリフォームがメインですが、新築も手がけています。設計者やデザイナーは自らの視点から作りたいものを提案しがちなのですが、一番大切なのはそこに住んでくださるお客様のニーズを考えることだといつも言っています。求められたことをそのままではなく、プロとしての提案も出しながら、お互いにいいものを作って行こうと考えています。
江戸時代の流祖の茶会を
再現できる場所
前田
建物の話も出ましたが、改めてここ上田流和風堂について教えていただけますか。
上田
ここは上田宗箇流の本拠地にあたる場所で、広島市西区にあります。元々は流祖・上田宗箇が1619年に浅野氏に従って広島に入ったときは、広島城内に上田家の上屋敷がありました。今のリーガロイヤルホテル広島の辺りです。明治に入って上田家の下屋敷が平和公園の噴水付近にあり、そこに移り住みました。第2次世界大戦の終わり頃、その一帯を兵隊を訓練するための練兵場にするので立ち退けという命令が下りました。上田家は広島西部に広く領地があり、その一角にあったこの場所に移りました。その後広島に原爆が落とされました。
前田
それでは、もしも立ち退きにあってなかったら…。
上田
うですね、もしも下屋敷に住んでいたなら、上田家はなくなったと思いますし、私も当然いなかったと思います。
前田
そのときから建物は現在のような形だったのですか。
上田
ここに移ったときは今の形ではありませんでした。先代の宗冏宗匠が当家に残されていた絵図を基に、広島城内にあった上田家の上屋敷の構成を再現したのが、この上田流和風堂です。ですから、当時上田家の上屋敷で行われた茶会の流れが、この建物で再現できるようになっています。
流祖・上田宗箇の
茶の湯の価値観を伝える
前田
上田宗箇流の流祖・上田宗箇とはどのような方だったのでしょうか。
上田
武家茶道の茶道家で、武将として有名なのですが、いわば“超イケイケの武将”ですね。当時は16歳にならないと戦に出ることができなかったのですが、早く戦に出たくて、わずか14歳の時に「16歳だ」と偽って初陣を飾るんです。戦で一番最初に手柄を立てる「一番槍」に強いこだわりがあり、大きな戦で何度も一番槍を取りました。その反面、茶の湯や陶芸、作庭などの芸術にも自分の生き方を見い出して取り組みました。
前田
上田宗箇の作庭は広島には縮景園がありますね。お話を伺っていると、家元も多才な流祖の影響を受けておられるような印象を持ちました。上田宗箇流には400年積み重ねて来られた歴史があります。100年、200年と続く企業の経営者の方々が必ず仰るのが、「創業時と今とでは商品やサービスも違う。ただ唯一、創業の思いを脈々と受け継いでいる」。上田宗箇流でも受け継がれて来たものはございますか。
上田
今仰ったことに近いのですが、上田宗箇の創った茶の湯の価値観を継承していくのが最も大切なことで、何を置いてもそこが基準になります。私は文化の強さは柔軟性にあると考えています。長い年月を経て今も残っている文化は、変えてはいけないところを残しつつ、動かせる余白を持っていると思うんです。不易流行という言葉があります。不易とは変わらないもの、流行は新たな変化を取り入れること。不易の部分を大切にしながらも、やはり今を生きている人たちにとって、意味があったり喜びがあったりするものでなくてはと思います。
前田
この茶室を改修されたのも、まさにその一つですね。
カフェから触れる伝統文化
家元がプロデュース
前田
昨年はカフェの監修もされていますね。
上田
広島城三の丸にオープンした「SOKO CAFĒ」を初めて監修いたしました。ご依頼をいただいたときは、茶道の家元がカフェのプロデュースというのは社会的に許されるものなのだろうかと考え、討議を重ねました。が、茶の湯文化を将来に残していくことが一番大事な目的なので、今までにない形から文化への入り口にしたいと思い、お引き受けしました。
前田
新しいことをやるときには、色々言われたりもしたのではないでしょうか。家元として、そうしたプレッシャーはありますか。
上田
全然感じたことはありません。プレシャーがあろうとなかろうと全力でやります。歴史があろうとなかろうと、ベストを尽くすということ自体は変わりません。創業1年だろうと400年だろうと、自分が創業者のつもりで一生懸命やるということ自体に変わりはないです。
前田
私もSOKO CAFĒには何回か行きましたが、すごい賑わいです。スタートまでのご苦労などございましたか。
上田
色々な協議をする中で自分が強く感じたのは、今、伝統文化を暮らしに取り入れる人が減っていますよね。前田会長も仰っていたように、茶の湯って正座をしないといけないんでしょう、とか、作法がうるさいんでしょうなどというイメージが強く、避けられがちなんですね。その状況で今までと全くやり方を変えずに文化を継承するのはものすごく難しいことだと思ったので、「これまで試したことがない手段で伝統文化に触れてもらう入り口を作る」という目標を掲げました。その代わり、上田宗箇という看板を掲げるからには厳しく見させていだたきました。カフェだから一般の方も入りやすくしないといけないし、本格的にすればするほど遠ざけてしまうし。入りやすくした上で、茶の湯文化に親しんでもらうことを仕組みとして組み込んでいくように考えました。でも、一にも二にも、美味しくないと絶対ダメなので、味の妥協はしていません。
前田
では、味なども全部見られたんですか。
上田
もちろん試作段階から入って、準備から提供方法まで細かく全部見ました。大変でしたが、スタッフみんながとてもモチベーションが高く、ありがたかったですね。上田宗箇流というものを店舗を通じてスタッフの皆さんがプロモーションしてくださっているので、多くの方に茶の湯を知ってもらう新しい窓口になっています。
歴代の叡智を残すために
新しいことに取り組む
前田
最後に、これから発信していきたい、残していきたいものがおありでしたら教えていただけますか。
上田
一番には、上田宗箇が培い歴代の当主が作り上げてきた茶の湯の価値観を守っていくことを全力で取り組むことが私の使命です。私個人としては、新しいこと、面白いことがやりたいのではなく、伝統文化を継承していく手段として行ったことが、今までになかったものというだけです。大きな目標は1ミリも変わりません。個人的な考えですが、茶道の所作は物を大切にする気持ちが現れています。物を大切にする日本の精神性を茶の湯を通して伝えたいですね。
前田
私ども、年月を経た価値ある建物を、リフォームして大切に住み続けていけるようにと思います。今日は大変貴重なお話をありがとうございました。
茶道 上田宗箇流 第17代家元 公益財団法人 上田流和風堂
上田 宗篁
広島の武家茶道・上田宗箇流を伝える上田家に、1978年長男として生まれる。
國學院大學卒業後、プロダンサーとして国内外で活躍し、高い評価を得る。
2007年、上田宗箇流を継承するため広島に戻り、さまざまな企画・活動を行う。
2017年、大病で命の危機に直面するが、厳しい治療を乗り越え、2026年5月1日に第17代家元を継承した。